洗足の歴史

洗足(せんぞく)

【歴 史]

旧:荏原郡碑文谷村(のち碑衾村を経て碑衾町)。1924年(大正13年)に目黒蒲田電鉄洗足駅が開通したことから「洗足」の地名が誕生した。

1924年(大正13年)に現在の品川区戸越に設立された平塚裁縫女学校が、1926年に洗足高等女学校(のちの洗足学園第一高等学校、廃校)として移転。学校法人の説明によれば、これは地名に基づくものではなく、敬虔なクリスチャンである設立者の前田若尾が、イエス・キリストが弟子の足を洗ったことに因んで命名したものとされている。

児童合唱で有名なひばり児童合唱団の本拠地もこの界隈である。一帯は大正時代末期に「洗足田園都市」として開発・分譲が始まった落ち着いた住宅地である。駅前にはかつて桜並木があったが、昭和の初期に銀杏並木に植え替えられている。

【地名の由来]

洗足という地名は隣接する大田区の北千束・南千束の「千束」と同く中世期の「荏原郡千束郷」に由来しており、千束分の稲が貢祖から免ぜられていたことから名付けられたという。「洗足」と書き換えられるようになったのは、日蓮が池上に向かう途中にここの「大池」で足を洗ったという伝説によるもので、のち「千束の大池」が「洗足池」と呼ばれるようになった。

この目黒区の南端部に洗足の地名が定着していたのは高級住宅街「洗足田園都市」の開発によるものであった。田園都市株式会社は碑衾・平塚・馬込の3村にまたがる地域におよそ33万平方メートルの宅地を造成し、1922年(大正11年)に「洗足田園都市」の名で分譲を開始した。翌1923年(大正12年)の目蒲線洗足駅の開業及びその半年後に起こった関東大震災により、「洗足田園都市」は東京市内から郊外へ流出する人に注目され、高級住宅街としての「洗足」が出現することとなった。

ウィキペディア(Wikipedia)より引用